2021-02-26 第204回国会 衆議院 予算委員会第二分科会 第2号
そのほかにも、これらの要するに組織的に行われた事案というものは、例えば防衛庁でも、一九九八年、額賀福志郎長官と秋山昌広事務次官が証拠隠滅の疑惑で辞任をされたりとか、あとは自衛隊の日報問題、こういったものについても、二〇一七年、稲田朋美防衛大臣と黒江哲郎事務次官が組織的隠蔽を疑われた事実で辞任をしています。
そのほかにも、これらの要するに組織的に行われた事案というものは、例えば防衛庁でも、一九九八年、額賀福志郎長官と秋山昌広事務次官が証拠隠滅の疑惑で辞任をされたりとか、あとは自衛隊の日報問題、こういったものについても、二〇一七年、稲田朋美防衛大臣と黒江哲郎事務次官が組織的隠蔽を疑われた事実で辞任をしています。
二〇一七年に文科省の前川次官、防衛省の黒江次官、それから、二〇一八年は文科省の戸谷次官、財務省の福田次官、そして、ことしが総務省の鈴木次官。これは、過去を調べたら、五人も更迭をされているような年はありません。加えて言えば、第一次安倍政権の二〇〇七年にも農水次官と厚労次官の二名が更迭されています。合計すると、四年間で七名の事務次官が更迭される。
○小野寺国務大臣 私が不思議に思うのは、なぜ当時の黒江さんが、今委員がお指摘されたこの政策、動的防衛力についてのこの内容については、これは野田政権でつくった、考えていた資料なんだと思います。ですから、安倍総理が違うことを例えば言って、そのために野田政権の資料を変える必要がどうしてあるのか、私はちょっと理解ができません。
○小野寺国務大臣 今御指摘の黒江哲郎氏は、二〇二一年八月一日から二〇二四年九月十日まで、防衛政策局次長でありました。済みません、平成。(穀田委員「平成なんでしょう」と呼ぶ)はい。済みません。失礼しました。
このページ、検討会の実績が記されたページ、皆さんにお配りしているやつですね、二〇一二年六月八日に開かれた内幕課長級懇談の参加者として、黒江防衛政策局次長の名前がある。この黒江氏とは、防衛事務次官だった黒江哲郎氏で間違いありませんね。
組織ぐるみ隠蔽の疑惑は深まるばかりでありますから、当時の稲田防衛大臣、黒江次官、岡部陸幕長、現職の山崎陸幕長、是非、証人として委員会に招致をしていただきたいと、そのことを御確認いただきたいと思います。
せっかくやっぱりこういう委員会でございますから、やはり当時関係をしておりました稲田前防衛大臣、それからやはりまだ政府の中にいらっしゃる黒江国家安全保障会議参与、前事務次官でございますけれども、こういった方々を是非お越しいただいて、一年たって、後になって後悔するということのないように、この委員会でこういった方々を是非参考人として招致していただくことを委員会として決めていただきたいということを委員長にお
それから、今、黒江前事務次官のお話がありました。これは私ども防衛省の所掌ではありませんので、私からコメントは差し控えさせていただきます。
この委員会に全面的に今の問題の資料を開示をするとともに、稲田前防衛大臣、そして当時の黒江哲郎防衛次官、岡部俊哉陸上幕僚長と現職の山崎幸二陸幕長ら関係者の招致を是非求めたいと思います。 委員長、どうぞよろしくお願いいたします。
この消えているかというところを言いますと、検討状況を記したページには、当時防衛政策局次長で、その後PKO日報の隠蔽問題で事務次官を辞任した黒江哲郎氏、現在政府の国家安全保障参与が検討会に参加していたことも記録されている。当時の文書に記載された当の本人が、私がこの文書に基づいて質問した際、三月三日、その際に、政府参考人、防衛政策局長として出席していたんですよ。
○藤田幸久君 では、日本国内の、四月十九日に冨田外務省北米局参事官と黒江防衛省防衛政策局次長が鳩山総理に本件を説明したという事実はありますでしょうか。
冒頭、稲田元防衛大臣の辞任につきましては、黒江事務次官、そして岡部陸幕長という貴重な人材を退官に追い込んでからという点も含めて、余りにも遅く、かつ自らの責任をしっかりと認識しない理由で退任されたということに対しては強い遺憾の意を表明をさせていただきたいと思います。 そして、今日は新任の大臣でございます河野大臣、小野寺大臣、御出席をいただきました。
総理の関与がありますから総理の出席、さらには稲田大臣、黒江氏、豊田氏、岡部氏、湯浅氏、辰己氏など関係者の証人喚問も行うということも含めて求めまして、理事会協議もお願いをして、質問を終わりたいと思います。
他方、日頃から自衛隊の最高指揮権を有していることを強調されている安倍総理は、十二月二十六日に防衛省前田防衛政策局長及び河野統幕長、一月七日と十一日と十九日に岡防衛政策局次長及び河野統幕長、一月十九日には黒江事務次官及び豊田官房長、さらに一月二十四日に宮川情報本部長及び岡防衛政策局次長と面談されています。
○笠井委員 この一月十八日というのは、監察報告によれば、岡部前陸幕長が陸自での日報データ保管を把握した翌日で、その後、一月下旬に、黒江前事務次官が、陸自に存在する日報は、公表にたえられる代物であるか不明であると判断して対応したというタイミングであります。
黒江次官ということで、二人で、豊田官房長も行かれていますから、豊田官房長が説明したかもしれないんですね。そこのところも含めて、きちっと確認しなきゃいけない。何があったかというのは問題です。 終わります。
○笠井委員 一月十八日、総理と黒江前次官そして豊田官房長当時が面談した、会ったということについては、これは当然、防衛省としては何らかの記録がありますね。
では、伺いますけれども、陸自の中に日報のデータが保管されていることについて、渦中になっています黒江事務次官それから豊田官房長が、二人がそろって、二人だけで総理に会いに来たということはありませんか。
○笠井委員 一月二十四日の衆議院本会議に先立つ一月十八日ですけれども、一月十八日の午後五時五十五分から六時十四分まで約二十分間、渦中の黒江次官と豊田官房長が総理のもとを訪れております。 その場で何らかの、日報問題についての報告とやりとりがあったんじゃないですか。それはいかがですか。
陸自内での日報データ保管が報道で明るみになった、これは三月ですけれども、その直後の三月十七日朝十時にも、黒江事務次官が単独で、今度は総理のところに会いに来ている。 要するに、この経過を見ますと、総理は、ことし一月段階から日報データ問題について黒江事務次官から要所要所で報告を受けて、むしろ対処方針を指示していたのではないか、そこまであり得ると思うんですけれども、そういうことじゃないんですか。
これ、あなたはこの一年間に、この三月八日以外だと四回総理に会われていますけれども、そのうち二回は黒江防衛事務次官と会っていらっしゃいます。これはまさに、政府と沖縄県との間の訴訟に関して、いわゆる司法の部分と行政の部分とのすり合わせといいますか信頼関係のために必要だと行ったいったわけでしょうから、これは沖縄県と政府との間の訴訟に関して話し合われたわけですね。
文書の配付元は日米課と書いてあって、配付先として、いろいろありますが、その中に、次官室、局長、黒江次長、西統幕防衛課長、地方調整課、沖調、日米課内などが列記されております。 この文書を見ますと、外務省ホームページで公表した中身、今大臣が答弁されたことと全く異なる日米でのやりとりが行われていたことがわかります。
議官 梨田 和也君 外務省総合外交 政策局長 平松 賢司君 外務省中東アフ リカ局長 上村 司君 水産庁長官 佐藤 一雄君 海上保安庁長官 佐藤 雄二君 防衛大臣官房長 豊田 硬君 防衛省防衛政策 局長 黒江
議官 槌道 明宏君 内閣府政策統括 官 加藤 久喜君 外務大臣官房審 議官 鈴木 哲君 外務大臣官房審 議官 豊田 欣吾君 外務省国際法局 長 秋葉 剛男君 防衛省防衛政策 局長 黒江
外務省総合外交 政策局長 平松 賢司君 外務省中南米局 長 高瀬 寧君 外務省欧州局長 林 肇君 外務省中東アフ リカ局長 上村 司君 国土交通大臣官 房審議官 水嶋 智君 防衛省防衛政策 局長 黒江
黒江局長。
員 宇佐美正行君 政府参考人 内閣官房内閣審 議官 前田 哲君 内閣官房内閣審 議官 北村 博文君 外務大臣官房長 上月 豊久君 防衛大臣官房審 議官 石川 正樹君 防衛省防衛政策 局長 黒江
別府 充彦君 外務大臣官房審 議官 下川眞樹太君 外務省北米局長 冨田 浩司君 外務省中東アフ リカ局長 上村 司君 外務省国際法局 長 秋葉 剛男君 外務省領事局長 三好 真理君 防衛省防衛政策 局長 黒江